ランダム路線バス終点さんぽ
路線バスの停留所の前を通りがかると、「今その辺にいるバスに乗ってみたらどこに着くんだろう」と想像することがある。
普段の移動手段はほぼ電車で、路線バスは短い区間をたまに利用するくらいなので馴染みが薄い。
思い返せば、バスの終点まで乗った経験もほとんどない気がする。
想像を現実にするべく、適当な路線バスに乗って終点まで行ってみることにした。
また、私は散歩が趣味のひとつで、知らない場所を歩くのが大好きだ。人の暮らしの隙間を歩ける住宅地だとなお良い。
路線バスの停留所は駅よりも生活に近い場所にあることが多いので、その辺りを歩けばローカル感もちょうどよく味わえるんじゃないだろうか。
今回は路線バスの終点まで行って、降りて、適当に歩く。そういう散歩をする。
私は宮城県在住だ。選択肢が多そうなので、今回は県内の移動を司るターミナル駅である仙台駅をスタート地点とする。
宮城県バス協会のHPで、仙台駅周辺のバス乗り場を確認。
今回は乗り場だけ事前に決めていくことにする。
高速バスを省いた路線バスの乗り場(計26箇所)の番号を控え、ルーレットで抽選できるアプリに入力し、さっそくルーレットを回した。
抽選の結果、今回は「18番のりば」からバスに乗ることになった。
番号を控える時は路線バスかそうでないかだけ確認したので、これがどこ行きのバスなのかも現時点で把握していない。
翌日、スタート地点の仙台駅には10:00ごろに到着。
目的の18番のりばは、ペデストリアンデッキの階段を下りてすぐだ。
時刻表は調べていないため、乗り場に一番最初に来たバスに乗ることにする。
到着してすぐに2人ほど列に並び始めたのでその後ろに続いてみると、数分でバスがやってきた。
どうやら「長命ケ丘」行きのバスらしい。
地名を聞いたことはあるが、そこに何があるのか全く知らない。
終点はどこなのか、何分ぐらいで着くのか。
ほとんど何もわからない状態でバスに乗るなんて、もちろん人生初だ。とてもわくわくする。
この日はお盆期間だったが、平日の昼間だからか利用客は少ない。
仙台中心部の見慣れた景色から、どんどん知らない景色へと移り変わっていく。
自分の意思で乗っているはずなのに、行き先がわからないせいで「どこに連れて行かれるんだろう…」と勝手にドキドキしていた。
チェーンではない飲食店や個人塾の看板を眺めながら40分ほど乗っていると、終点を知らせるアナウンスが流れる。
他の乗客は既に降車していて、車内に残っているのは私一人だった。
そして終点の「長命ケ丘二丁目」に到着。
高い建物のない閑静な住宅街だが、すぐ近くに薬局とコンビニがあって便利そうだ。
偶然に任せてたどり着いた終点。
こんな機会でなければ、間違いなく一生使うことのないバス停だろう。
バスを降り、そのまま適当な方向に歩き始める。
歩き始めてすぐ、遠くのほうに仙台大観音が見えた。
名前の通りとても大きな観音像で、なんとその中に入ることもできる。
だいぶ昔に家族と行ったことがあるはずだが、ほとんど何も覚えていないので寄ってみるのもいいかもしれない。
長命ケ丘はとても散歩し甲斐のある場所だ。
曲がりたくなる良い雰囲気の路地が至るところにある。
歩いていて見つけたもの。
路地を抜けた先に、広めの公園があった。
この日、子供たちは夏休み中のはずだが人っ子一人いない。
私としては気兼ねなく写真を撮れるのでありがたかった。
ぐるりと見て回ると、立て看板に何かがあることに気付く。
これは…。
無作為なキャラクターたち。恐らく、公園内で見つけた落とし物を誰かがここに下げてくれたんだろう。
きっと近所の子供しか来ない公園だろうに、落とし主は現れないのだろうか。
人の優しさと、残された物の哀愁がこの立て看板に集中している。
なんだか切ない気分になった。
もう少し奥に行くと、木の間に何かが設置されているのを見つけた。
鳥の巣箱かと思ったが、それにしては位置が低すぎるし金属製だ。
前に回り込んでみる。
時計だった。どういうこと?
設置されている場所も、固定の仕方も、上に乗せられたグネグネの木も、全体的によくわからない。
ただ、時間はちゃんと合っていた。
遊具もあってきれいに整備されているが、微妙な引っ掛かりもある公園だった。
今後一生解けないであろう謎に出会えるのが散歩の良いところだ。
公園を出て、また歩き始める。
すぐに違う路地を発見。
夏なので体力的に難しいが、季節によっては延々歩き続けられそうだ。
うろうろ歩いていると、広めの緑地公園にたどり着いた。
先ほどの公園から歩いて10分弱の場所だ。近い距離に公園がたくさんあるのはうらやましい。
この日は雲が多いものの蒸し暑かったので、木陰を吹き抜ける強めの風が心地よかった。
景色を見ながらのんびり歩く。
開けた場所と鬱蒼とした場所が混在している。
自分がここの近所の子供だったら、きっと高校生くらいまで友達との溜まり場にしているだろうなと思える良い公園だった。
そのまま公園を抜けると、そこが先ほどバスで通過した道路だということに気づく。
距離的には最初のバス停からあまり歩いていないはずだが、ほとんど人とすれ違わない通りから急に車通りの多い道路へ繋がったので、
なんだか異世界から戻ってきたかのような気分になった。
時刻は11:30ごろ、お腹が空いたのですぐ近くにあったおしゃれなカフェに入ってみる。
なんと、店内にでっかい秋田犬さんがいた。最高のカフェだ。
店内もおしゃれすぎて少し気後れしそうになったが、店長さんが気さくに話しかけてくれて安心した。
いただいたもの。
ソーセージクレープ。ジューシーなソーセージと、優しい味のもちもちクレープが合う。添えられたソースをつけると更においしい。
アイスダッチコーヒー。苦味をちゃんと感じるのにすっきりしていて飲みやすく、暑さで疲弊した身体に沁みる。
店長さんから「今日はどこから来たんですか?」と聞かれたので、バスに乗って適当に散歩していて辿り着いたことを話すと、店長さんも散歩が趣味らしい。
気になった路地にどんどん入って歩いて行っちゃうんだよね、と言われて驚いた。私と完全に一緒だ。
普段は人と散歩の話をすることがないのでわからなかったけれど、これは散歩好きあるあるなんだろうか?
とても良い時間だった。絶対にまた行こうと思う。
体力も回復したので、到着後に見えた仙台大観音に行ってみようと決めた。
カフェを出て、今日初めてGoogleマップを開く。
所要時間を確認すると歩いて30分ほど。これくらいなら行けそうだ。
ゆるやかな上り坂が地味にしんどいが、じわじわ歩いて行く。
ここにも曲がってみたい路地が頻出。
今寄り道すると途中で体力が尽きそうなので、なんとか我慢した。
マップを確認しながら進む間は大観音の姿が一切見えず不安だったが、途中のゲオを曲がった瞬間に予想外の近さで現れてびっくりした。
大観音の足元に到着。
拝観料は500円、館内撮影可能。
入場口が大きな竜の口に食べられてしまうような構図になっていて面白い。
受付を通ってすぐ、左手には観音像・右手には十二支の守護神の大きな像がずらりと並ぶ。
円状のホールをぐるっと回って像を見終えると、エレベーターで最上階の12階まで上がることができる。
12階に展望窓があって、そこからぐるぐると観音様の体内を下っていくのだ。
最上階に着くと、ご神体のある「御心殿」と、自分の健康の気になる場所を触ると良いらしい「お触り布袋さん」が祀られている。
大観音は現在修繕中らしく、展望窓からは作業用の無骨なロープが見える。これはこれで面白い光景だ。
現在いるのは観音様の心臓部あたり。
体内は薄暗く、外よりは涼しいが歩いていると少しずつ汗ばんでくる。
他の客はあまりいないようだったが、誰かの話し声がそこかしこで反響していて、上下どこに人がいるのかわからない。
高い場所だからか外で吹く風の音がごうごうと鳴っているが、それもどこか遠く響いて心地良い。
ぼんやりと光る回廊を進みながら、母親の胎内にいたころはこんな風に外の音が聞こえていたのかも、となんとなく思った。
背骨のように並ぶ観音像は全部で108体、ひとつひとつに手書きの説明文が添えられている。
それぞれの観音様に豊かな表情やエピソードがあり、知識がなくても流れで見ているだけで十分面白かった。
12階から受付のある2階までは主に階段で降りるが、エレベーターが止まる途中階もありベンチもいくつか設置されている。
私はほぼノンストップで下まで歩いたが、じっくり一体一体見たいという人にも優しい作りだった。
外に出る。
一息つき、観音像を見上げると修復作業が行われていた。
高さ40mくらいの場所だろうか。そんなところで、ロープに吊られて強風に揺られながら作業をする心境は到底想像がつかない。
尊敬の念で見上げることしかできなかった。無事に終わりますように。
歩き疲れたのでそろそろ帰ろうかと思ったが、先ほど行ったカフェの店長さんから「大観音のところに油をかけまくれるお地蔵さんがあるよ」と聞いたのを思い出した。
そのお地蔵さんの足元には、頭からかける用のサラダ油がしこたま置かれているらしい。そんなことある?
せっかくなので見てみようと思って少し周りを歩くと、大観音の裏手に鳥居を発見。
鳥居をくぐって入ってみると、聞いた通りの光景が広がっていた。
「油掛大黒天」、なんともストレートすぎる名前だ。
由来はよくわからないが、縁結びのご利益があるらしい。
お地蔵さんの足元の空間にも油がたぷたぷに注がれている。
ここから柄杓で油を掬ってかけるようだ。
本当にいいのか?と思いつつ、作法に倣って真言を唱えつつ油をかける。
なんだか不思議な気分だったが、貴重な体験だ。
「地蔵に油をかける」という行為がどうしても面白くて邪念があったので、大釜に落とされて油で揚げられる悪夢とか見るんじゃないか?と思ったが、
その日の夜に見たのはフライドポテトをたらふく食べる夢だった。当たらずとも遠からず。
さて、今度こそ帰ることにする。
時刻は14:00過ぎ。この時間ならまだバスも余裕で乗れるだろうと思い調べると、すぐ近くにバス停があった。
運良く、それほど待たずに仙台駅行きのバスが来た。
冷房の効いた車内で一息つき、ぼんやりと外の景色を眺める。
先ほど私が歩いてきた道をバスが逆走していく。
この世に自分の足で歩いたことのある道が少し増えた。嬉しいことだ。
仙台駅に戻ってきた。
疲れてウトウトしていたのもあって、帰りはあっという間に感じた。
こうして、「ランダムで乗った路線バスの終点まで行って散歩する」という試みの第一回は終了した。
どこに着くか全くわからないのはかなり冒険感があって楽しい。
目的地があると色々調べなくてはと思ってしまうが、今回は「行く」ということ自体が目的なので何も考えずに歩くことができた。大満足だ。
仙台駅周辺で乗れる路線バスだけでも、あと25箇所ある。
次はまた違う終点まで行ってみよう。
おわり